calling


「はぁぁぁぁぁ……」

 応接用のソファに深く沈み込みながら吐き出された、本日八回目の重い溜め息に、 成歩堂法律事務所の助手を務める少女は心底嫌そうな視線を投げた。
「……一応聞くけど、どうしたの? なるほどくん」
 成歩堂の溜め息の理由なんて、だいたい想像はつく。
 きっと二言目には赤くてヒラヒラの天才検事の名前が出てくるに違いないのだ。
 半分惚気のような悩み事を聞かされるのも気が進まないけど、 このままソファで溜め息をこぼされ続けるのもうざったい。
 苦渋の決断をして仕方なしに声をかけた真宵は、今いれたばかりのコーヒーを成歩堂の前に置いた。
 ありがと、と言ってコーヒーに手を伸ばす姿はだらけきっていて、法廷で見せるあの、 格好良いとさえ思える凛々しさのかけらも残っていない。
 こんな姿を見ていると、みつるぎ検事はなるほどくんなんかのどこが好きなんだろう、なんて考えまで浮かんでくる。
 本当は、良いところだっていっぱいあるって知っているけれど。

「さっき数えたんだけどさ、もう三週間も御剣に会ってないんだよ」
 そう言ってまた溜め息をつく成歩堂に、ふぅんとだけ返しながらも、真宵は少し驚いていた。
 ふたりは真宵の知っているだけでも一週間と開けずに会っていたし、 成歩堂が三週間も御剣を放っておくなんて考えられなかったから。
「ほら、最近この事務所も忙しかっただろ? いつも御剣が忙しくてもぼくが無理やり押しかけたりしてたのが、 ぼくまで時間が取れなくなっちゃったから」
 言われてみれば。
 確かにここ三週間ほどは忙しかった。いつもの閑古鳥が嘘のように、 驚く暇さえないほど立て続けに依頼が舞い込んで来たのだ。
 真宵だって忙しかったけれど、実際に弁護をする成歩堂はそれ以上に余裕がなかったのだろう。 大好きな御剣に会いにいくことすら出来ないほどに。
「うーん。でもさ、忙しかったのっておとといの裁判まで、だよね。昨日はいつもどおりの暇な一日だったのに、 事務所閉めたのだって定時だったのに。会いに行かなかったの?」
 真宵の言葉に、成歩堂はまたもや溜め息をついて、会いに行きたかったけど……、と呟くように言った。
「今までぼくが頻繁に会いに行ったり電話したりしてたから気付かなかったんだけど、 御剣から電話してきたりしたことってほとんどないんだよね。この一週間なんてぼくからも連絡いれてないのに、 あいつからはなんにも言ってこないしさ。……ぼくってもしかしたらあんまり愛されてないのかも」

 今更じゃないかと真宵は思う。
 いつだって御剣の都合もなにも関係なしに追いかけてたのが成歩堂で、それが今更彼の気持ちを気にするなんて。
 少しは成長したということだろうか。
 ていうかこの状況ってかなりめんどくさい、と真宵は気付いてしまう。
 惚気られるのもいただけないけど、拗ねてる成歩堂なんてより一層やっかいだ。

「ほら、なるほどくん。みつるぎ検事って、会いたくても自分から言えないんじゃないかな?  素直じゃないし。きっと今頃寂しがってるよー」
 早く会いに行ってあげなよー。と、できるだけ明るく言ってみたけど、成歩堂は浮かない表情のままだ。
「もし、さ。ぼくがこのまま御剣に連絡しなかったら、どうなると思う? あいつはどのくらいで連絡してくるかな。 それとも、それっきり……とか」
 視線を落として呟かれた言葉に、真宵は唖然としてしまった。
 成歩堂のこんな消極的なところは初めて見た。消極的というより、弱気だ。
 御剣に対しては特に、押して押してまた押すタイプだって信じて疑わなかったのだが。
 今までだって実際そうだったことを知っている真宵はしばし呆然としてしまう。
「もう一週間くらい、連絡しないでみようかなぁ」
 返事を返さずに考え込んでいた真宵に言うでもなく、ひとりごとのように成歩堂が呟いた。
 気付いた真宵がそちらを見ると、そこにはまるで覇気のない成歩堂の姿。
 本当に珍しく、真剣に落ち込んでいる様子は可哀相だと思うけれど。
「あたしは恋の駆け引きとかよくわからないけど、そういう試すみたいなことするの、良くないと思う」
 真宵ははっきりきっぱり言ってやる。
 だって成歩堂にはそういうの似合わないと思う。成歩堂はいつでも御剣のことを追っかけてないと、 こちらが落ち着かないのだ。
 御剣の気持ちなんて関係なしに付き纏ってるくらいがちょうどいい。たぶん。
 たまにうざいのも本当なのだけれど。

 真宵の言葉に成歩堂が「そうだよねぇ……」と、記念すべき本日10回目の溜め息をついたとき。
 まるで狙いすましたかのように鳴りだした成歩堂の携帯に、ふたりともがビクリと肩を揺らした。
 今までの沈んだ空気を蹴飛ばすように容赦なく鳴り響くトノサマンのテーマに、 今度から落ち込むときには携帯の音は切っておこうと、 ちょっと複雑な気持ちになりながら携帯をポケットから引っ張りだした成歩堂の表情が、ふいに、固まった。
 ディスプレイを見つめたまま動かない成歩堂を怪しんで、真宵が携帯を覗き込むと、 そこには『御剣』と表示されていた。
「なっ、なるほどくんッ!! なにぼうっとしてるの! みつるぎ検事だよ!」
 早く出てッ! と真宵にせかされて、成歩堂はなんとか通話ボタンを押した。
 真宵が固唾を飲んで見守る横で、成歩堂はもしもし……と呟く。
「御剣……? キミから電話してくるなんて珍しいね。どうかしたの? …………御剣?」
 そう言っただけで、なぜかそのまま携帯を持った手を下ろした成歩堂に、真宵は訳が分からない。
「なるほどくん? どうしたの?」
「……切られた」
「えぇ!? みつるぎ検事なんて言ってたの?」
「何も……。無言のまま切れちゃったんだ」
 茫然としたまま呟く成歩堂に、真宵は困り果てた。
 何がどうなってるやらさっぱりだ。
 御剣はいたずら電話なんてするような人じゃないし。何も言わずに切るなんてどういうつもりだろう。
 ふと、不吉な想像が頭をよぎって、真宵はいまだ心ここにあらずで放心している成歩堂の肩を思い切り揺すった。
「た、大変だよなるほどくん! みつるぎ検事もしかしたら病気で動けなかったり、 拉致されて人質になってたりするのかも!」
 真宵の言葉に我に返って、慌ててもう一度携帯を操作する。
 たった今掛かってきたばかりの番号を呼び出してボタンを押したけれど、 携帯からは延々と無機質な呼び出し音が聞こえるばかりで、しばらく待っても御剣が出ることはなかった。
 成歩堂は苛々と携帯を切って、立ち上がる。
「ごめん真宵ちゃん、事務所お願い!」
「う、うん! 気をつけてね!」
 後に残された真宵は、どうしていいやら分からずに、どさりとソファに沈み込んだ。

  *  *  *

 ぼくはなんて馬鹿だったんだろう。
 つまらない意地張ってないで、すぐに会いに行けばよかったんだ。
 検事局への道を全力疾走しながら、成歩堂は思う。

 ――病気で動けなかったり、拉致されて人質に――

 そんなことありえないとは言い切れなかった。
 心臓が破裂しそうなくらいに痛むのは、決して成歩堂の体力が無いせいだけじゃないはずだ。
 もし御剣に何かあったら。
 そう考えるだけで、走り通しで熱くなっているはずの身体が、腹の芯から冷えていく気がした。

(御剣、みつるぎ、お願いだから、無事でいて!)


 バタン! とまるで体当たりするような勢いで御剣の執務室の扉を開ける。
「御剣!!」
 そこには、片手に書類を持ったまま、いつもは細められている瞳を大きく見開いた御剣が、とても健康そうな顔色で、 こちらを見ていた。
「み、御剣……、無事、なんだね?」
「一体どうしたのだ。すごい汗だが……まさか、走ってきたのか?」
 元気そうな御剣を見た途端、身体の力が抜けて、事務所からここまで走り通した疲労までが一気に襲ってきて、 成歩堂はその場に座り込んでしまった。
 「なっ成歩堂! 大丈夫か!?」と慌ててこちらに駈け寄ってくる御剣の腕を捕まえて、腕の中に引き寄せると、 今出せる限りの力でぎゅうぎゅうと抱き締める。
 腕の中に収まった御剣の身体は、火照った成歩堂の身体にはひんやりして気持ちいい。
 くっついた胸からは成歩堂の壊れそうなくらい早く大きな心音に混じって、御剣の鼓動が小さく、 でも確かに感じられた。そのことに涙が出そうなくらい安心して、成歩堂はゆっくりと御剣から身体を離した。

「よかった、無事で」
「ム……私はなんともないが。どうしたというのだ」
「どうしたって……」
 御剣の顔は心底困惑しきっていて、とてもとぼけているようには見えない。
 もしかしたらあの電話は、御剣が掛けたんじゃないんだろうか。
「さっき、ぼくに電話した、よね?」
「あぁ、したな」
 半信半疑で尋ねたら、あたりまえだとばかりに即答されて、成歩堂は少しだけ自分の耳を疑ってしまった。
「したな、って! あんなふうに何も言わずに切られたら、心配するに決まってるだろ!」
 ついつい怒鳴ってしまって窺うように御剣をみると、さっきと同じ困惑の表情を浮かべていた。
「ムぅ……そ、そうか。それは配慮が足りなかったようだ。心配を掛けてすまなかった」
 御剣は成歩堂が心配するなんてことには本当に気付かなかったようで、それはそれは丁寧に謝ってくれたけれど。
 なんだか困っている様子の御剣をこれ以上困らせるのも可哀想だけど。
 やっぱりそれで全て納得なんて出来るわけがない。
 いったい御剣はなんだってあんな紛らわしい電話を掛けてきたのか。
「ねぇ御剣。なんで無言電話なんてしたのさ。用もないのに電話するなっていつも言ってるのはキミだろう?」
「私は用事もなく電話など掛けない。用事は、あったのだ」
「じゃあどうしてそれを言う前に切っちゃうんだよ」
「……用が済んだから切ったのだ」
 さっぱり訳が分からない。いったい用事ってのはなんだったんだ。
 御剣がこんな要領を得ない話し方をするなんて珍しいことだ。
 隠してることがあるのか、言いづらいことがあるのか……。

 どうしたものか考えあぐねて言葉を切った成歩堂に、御剣は困ったように一度視線を遣ってから、 しぶしぶといった様子で話し始めた。
「先程、裁判所から戻ってくる途中で、ひまわりを見つけたのだよ」
「ひまわり?」
 いきなり何の話を始めるんだと怪しむ顔つきになった成歩堂にはお構いなしに、御剣は話し続ける。
「まだ6月なのに珍しいと思って見ていたのだが。そうしたら、キミの顔が頭に浮かんできた。 ……キミは前に、花はひまわりとチューリップしか知らないなどと馬鹿なことを言っていただろう。それを思い出したんだ。 それで、最近会っていないなと思って……」
「……ふうん。それで?」
 本当はもうだいたい話は読めていたけれど、成歩堂は知らないフリをして続きを促した。
 ちゃんと御剣の口から聞きたかったから。
 少し意地悪かもしれないが、先ほどあんなに心配させられたことを思えば、これくらいしてやらないと割に合わない。
 御剣はその意地悪に気付いたのかどうなのか、いたたまれないように成歩堂から目を逸らして言葉を紡いだ。
「そうしたら急に、その。……キミの声が聞きたくなったのだよ……」
 ついに言ってしまったとばかりに肩を落とす御剣に、口許が緩むのは仕方のないことだと思う。
 こいつはなんだってこんなに可愛いんだろう。

 成歩堂はもう辛抱堪らないとばかりに、うなだれた御剣の顔を上げさせると、額に、瞼に、鼻先に、頬に、 順番にキスを落とす。
 そして最後に薄く色づいた唇を指でそっとなぞってから、軽く触れるだけのくちづけをした。
 まるで柔らかな羽毛でくすぐられるようなそのくちづけに、御剣は少し戸惑うように身じろいだ。
「大好きだよ、御剣」
 御剣の頬を撫でる手はそのままに、成歩堂はニコリと笑って言った。
「寂しい思いさせちゃって、ごめんね」
「ム、私は別に、そのようなアレでは……」
 否定したところで、そんな拗ねたような顔してたら意味ないって、教えてあげたらどんな反応をするんだろう。
 また御剣をいじめたい願望がムクムクと湧き上がってきたけど、涙をのんで我慢することにした。
 だって今日はすごく嬉しいことも言ってもらえたし、これ以上意地悪して御剣の機嫌を損ねるのは本意じゃない。
 今日はこのまま、御剣を抱きしめて、今まで会えなかった分を埋めるくらいに甘い時間を過ごしたいんだ。

「ねぇ御剣、ぼくだって寂しかったんだよ。ずっとずっと御剣の声が聞きたかったし、会いたかった」
「そ、そうなのか?」
「うん。だから、おあいこ。御剣も同じ気持ちだったんだよね?」
 まっすぐに御剣の瞳を見つめながら聞けば、ためらいながらも、ゆっくりと頷いてくれる。
 どうして御剣の気持ちを疑ったりしたんだろう。
 不器用な御剣は言葉には出さなくても、こんなふうにちゃんと思いを伝えていてくれたのに。
 成歩堂はもう一度御剣の唇に柔らかなキスを落として、その身体を腕の中にしまいこむように抱きしめた。

「でもさ、今度からは無言じゃなくて、声が聞きたかったって一言いってから切ってよね。 あれじゃ心臓がいくつあっても足りないよ」

 小さな愚痴も本当は、キミの口からまたその言葉を聞かせて欲しいから。


end // reset
2008.6.14 up
50Hitキリリクで『甘々ナルミツ』でした。
どうでしょう。甘々になってるでしょうか。
かなり不安ですが、この話をリクしてくださったリュウさんへ。
リクエストありがとうございました!