あいでころして
髪を梳く、頬を撫でる、灰色の瞳の奥を見つめて……愛している、と囁く。
そんな狼の愛情表現は、御剣に対して飽きることなく幾度も繰り返されている。
そして何度同じ言葉を告げても、御剣は何度でも律儀に耳を赤く染める。
毎回ではなくとも、三回に一回くらいは照れながら、私もだ、と返してくれる。
残りの二回は逃げられたり、殴られたり……それでさえも照れ隠しだと分かっている狼にはいとおしさを募らせる要因にしかならなかった。
ところが今夜は少し様子が違っていた。
いつもより長風呂だった御剣が、湯上りの無自覚な色気を纏いながらベッドルームに戻ってきたとき。
美人な恋人の色っぽい姿に心臓をぶち抜かれた狼が、愛してるぜ、と、まるで挨拶のように告げたのは自然の流れで、 この状況ならば御剣は照れながらもベッドに腰掛ける狼の腕に抱かれることを嫌がりはしない、はずなのだが。
予想に反して今日の御剣はその場で少し難しい顔をして、首を傾げたのだった。
「愛を囁くときにはフランス語なのだそうだ」
ベッド脇に立ったまま、なにか考え込んでいた御剣に、どうしたんだ、と声をかければ、大真面目な顔でそんな言葉が返ってきた。
普段の、主に仕事中の御剣は、何かを話すときには相手に分かりやすいように、必要な補足も交えながら話を進める。仕事のデキる人間は話し方だって一流なのだ。
だからこんな風に唐突に話し始めることは皆無に等しい。仕事中であれば、の話だ。
プライベートで御剣と交流を持つようになって知ったのは、彼は親しい人間といるときには存外ぼうっとしているということ。それからふとしたことで思考が飛ぶこと。
今回は何をきっかけに先の言葉に繋がったのかわからないが、彼には彼なりの順序があってそうなったのだろうというのはわかる。
だから狼は、自分の愛の告白を放置されたことは極力気にしないようにして、御剣の思考を辿るのを優先した。
それで? と促しながらちょいちょいと手招きすれば、今度は素直に狼の腕の中に収まる。
どうやら狼の「愛してる」を拒絶しようという話ではないようで、狼は無意識に入ってしまっていた肩の力を抜いた。
「ビジネスなら英語、歌うならイタリア語、神に語りかけるならスペイン語……それに、犬を叱るならドイツ語」
犬を叱る、の部分にピクリと反応した狼を視線で確認して、ドイツ語なら得意だな、と御剣が笑う。
オオカミと犬は違うんだぞ、と反論しようとしてやっぱり思いとどまったのは、そんなことは知っていると真顔で返されるのがオチだと悟ったからだ。
当然のように犬扱いされるのは、かなり不本意なのだ、本当は。
それでも御剣がこんな風に気安くなってくれたことのほうが断然嬉しいのだから、救いようがないと自分でも思う。
「だが、キミに言うべきコトバを私は知らないと、先程気付いた」
「ん? フランス語はわからねぇのか?」
愛してるはジュテームって言うんだぜ、と耳の後ろに鼻先を擦り寄せながら言えば、そんなことは分かっている、と逆に蔑むような目を向けられた。真顔よりだいぶ酷い。
少し理不尽に感じながらも、雰囲気は悪くないので我慢することにした。
「そうではなくて……キミは『愛してる』と言うだろう? ……日本語で」
「……あぁ」
御剣の言いたいことを理解して、狼の頭は熱でも出たみたいに火照り始めた。
この可愛い恋人は、狼の生まれた国の言葉で、気持ちを伝えたいのだと、そう言っているのだ。
愛を囁くならフランス語、そんな話をどこで聞いたかは分からないが、そこから派生して狼に対して気持ちを伝えるならなんと言えばいいのだろうと。 いつもより長かった風呂はそれを考えていたからか。
湯船の中で、のぼせそうになりながらそんなことを悩んでいる御剣なんて、想像しただけでいじらしくて、自分の顔がどんどん熱くなっていくのがわかった。
こんな気持ちをなんと言うのだったか。日本語にはこの状況にピッタリの言い回しがあったはず、と狼は頭の中の日本語の抽斗を片っ端から覗きこむ。
そうだ、確か…………シンボウタマラン、だ!
思い出した日本語に忠実に、腕の中の御剣をぎゅうっと抱き締めれば、彼の身体も火照っていることが分かる。
自分の考えていたことが恥ずかしいのか、ただ単に風呂上がりだからか。どちらにしたって狼にとっては可愛くて仕方なかった。
「――――、だ」
「――――……?」
抱きしめたまま耳元で囁けば、たった一度で発音まで正確に、同じ言葉が御剣の唇から滑り落ちる。
いったいどこまで完璧なんだコイツは、と思いながらも、覗うように見上げてくる御剣に頷いてやると、まるで褒められた子供のように少しはにかんで、笑顔になった。
「――――、ロウ。……合ってるか?」
また、乱される。
御剣の前ではいつもこうだ。
格好良くありたいとか、大人でありたいとか、そんなちょっとした見栄なんてものは、御剣の一言やたった一度の微笑みで、余裕と一緒にキレイさっぱり剥ぎ取られる。
平静であろうとする心を嘲笑うかのように、乱暴なつむじ風が身体中を暴れまわって吹き抜けていく。
「パーフェクト。俺の負けだ」
「負け?」
「いや、なんでもねぇよ」
気にすんな、と言いながら口づける。都合の悪いことはうやむやにしてしまうに限るのだ。
対御剣では負け戦が続いているし、これからも勝てる見込みは無いに等しい。
それでも今この瞬間にただひとつ、鼓動の速さだけならば、絶対に勝てる自信があった。
ああ、なんだかもう幸せすぎて。
死んでもいい。ふと頭に浮かんだその言葉こそ、日本の古い作家が『I love you』の翻訳に使ったものなのだと、狼には知る由もなかったけれど。
end // reset
2009.11.15 up
くたばってしまえのあの人
くたばってしまえのあの人