赤い糸

「運命の赤い糸を信じるか?」

 ぼくが来てからずっと黙り込んでいた御剣が、急に口を開いたかと思ったら、意味の分からないことを言い出した。

「……はぁ?」

「知らないのか? 将来結ばれる運命にある二人の小指は赤い糸で結ばれているという……」
「ストップ」

 質問の意図をはかりかねて聞き返したぼくに、ご丁寧にも赤い糸の説明をしようとする御剣を、ぼくは慌てて遮った。
 このまま御剣にしゃべらせていたら、ぼくはすぐにでも赤い糸についての第一人者になれてしまうだろう。

「赤い糸の基本知識くらいは知ってるよ」
 ぼくが聞きたいのは、キミが何でいきなりそんな事を言い出したかってことだよ。 そう言って御剣をみると、なぜかぼくから目を逸らして俯いた。

 言いにくいことらしい。
 けれど教えてもらわないことにはどうしようもない。
 ぼくが部屋に来てからずっと様子がおかしかった御剣に、どうしたものかと頭を悩ませていたぼくは、 やっと見つけたこの不審な態度に繋がる糸を離す訳にはいかなかった。

「御剣、言って」

 有無を言わさぬ口調で言うと、御剣の頬に手をかけて、視線をこちらに向けさせる。
 御剣の瞳はなぜか落ち着きなく揺れていて、ぼくは何があったのかわからないことにイライラした。
 御剣はしばらく言葉を探すように瞳を彷徨わせていたが、覚悟を決めたようにぼくに向き直った。

  「……キミが来る前、テレビを見ていたのだ。そこで、『運命の赤い糸特集』なるものがやっていて、 赤い糸が実際に見えるという人間が登場して、……いや、見るとはなしになんとなく眺めていただけなのだが」

 一体何があったんだと、張り詰めた面持ちで聞いていたぼくは、テレビの話をされて少し拍子抜けした。
 けれど、御剣はあくまで真剣な様子だったので、ぼくは気が緩んだのを彼に知られないように、 精一杯、真摯な表情を作って続きを促した。

「それで、ふと、思ったのだ。……赤い糸は……その、おっ……男同士でも結ばれているのかとッ」
「…………」
「自分でも馬鹿らしいと思うのだ! しかし、一度考えてしまうと止まらなくなってしまって」

 びっくりして言葉が出なくなってしまったぼくに、御剣は言い訳のように言い募った。
 御剣の顔がどんどん赤くなっていくのをぼんやり眺めながら、 綺麗なピンク色に染まったうなじに噛み付きたい衝動をなんとか堪えた。

「……笑いたいなら、笑えばいいだろう!」
「……笑わないよ」
「嘘をつけ。顔がおかしなかたちにゆがんでいるぞ」


    ――――バレたか。

 けれどこれは御剣の思っているような笑いでは決してないんだ。
 御剣を馬鹿にしている訳ではなくて、ただ、首まで真っ赤に染まった御剣が、 可愛くてたまらなくて、自然と頬が緩んでしまうんだと。
 ありのままを言ったなら御剣はもっと照れて怒り出すだろうから、言えなかったけれど。

 ぼくは何とかにやけた顔を引き締めて、もう一度御剣に話しかける。

「それで、御剣は何を心配してるの? ぼくたちが赤い糸で結ばれていないんじゃないかってこと?」

 そんなの関係ないのに。ぼくたちはお互い好き合っていて、赤い糸なんてものに脅かされるような脆い関係じゃない。 と、少なくともぼくは思っていたのだが、御剣は違ったのだろうか。

「キミが……、私のことを、その、ちゃんと想ってくれているのは分かるし、私だってそうなのだが……。 例えば、赤い糸が異性間でしか結ばれなくて、誰にでも運命の相手が決められているなら、 キミや私にも、その誰かはいるのだろう?」
「……キミは自分の運命の相手が気になるの? ぼくとじゃなくて、その相手と恋人になりたいのか?」

 一気に気分が急降下だ。自分でも、恐ろしく不機嫌な声が出たと思う。
 当たり前だろう。自分の恋人が自分以外の奴との可能性を語るのを、気持ち良く聞けるはずがない。
 そんな相手が実際にいたら、ぼくはなんとしてでも排除するだろう。

 ぼくの冷たい声に一瞬びくりと身を竦ませた御剣は慌てて、違うのだ、と言葉を挟んだ。

「……そうではなくて、その、実際にそのような相手がいるのなら、 その二人には他に運命の相手というのは現れないのかと……」
「バカバカしいよ。本当にいるかも分からない人間相手に、そんな心配をするなんて」
「けれど実際に赤い糸が見える人間がいるのだぞ。霊媒やさいころ錠なんてものがあるのだ。いないとは言い切れないだろう」

 必死に言い募る御剣に、ぼくはかなり面くらった。

 ……こんなお人良しなことを言うヤツだっただろうか?
 確かに見た目より遥かに優しいところはある。けれどそれは、身内贔屓とでもいうのか、 御剣が普段から親しくしている人間に限られていた。
 一度でも懐に入れた相手には、驚くほどの包容力を見せて守ろうとするけれど、 誰彼構わず情けをかけるような男ではないと思っていたのに。


「……で、もしそんな人間がいたとして、キミはどうしたいの?」
「……会ってひとこと、謝罪を……」

 やっぱりおかしい。
 御剣の言葉にいつもの勢いがないし、何より筋が通っていないじゃないか。 相手のことを思うならどう考えたって何も知らせないのが一番だろう。そんな謝罪をされても向こうからしたら迷惑なだけだ。

「……異議あり。そんなことしてもなんの意味もない。キミは……本当に謝罪をしたいだけなのか?」
「……」

 御剣は唇を噛んだまま俯いている。その顔色が青ざめているように見えるのは気のせいだろうか。

 ……嫌な予感がした。できれば外れてほしいけれど、きっと間違いない。

「キミは……まさか、ぼくとその相手を逢わせようとしてるのか……?」

 御剣の肩がびくりと震える。大当りだ。

 なんてバカなやつ。きっと相手はあやめさんじゃないかなんて妄想をしてたんだろう。 御剣が彼女のことを気にしているのは今に始まったことじゃない。

 思い切り殴り飛ばしたい。そうじゃなければ力いっぱい抱きしめたい。
 けれどそのどちらもせずに、ぼくは俯いた御剣の顔を覗き込んで視線を合わせた。

「ねぇ御剣、ちゃんと答えて。キミはぼくとその相手を逢わせて、ぼくの気持ちが変わらないか確認したいだけ?  それとも、本当にぼくをそいつに渡す気なの?」
「……両方、だ。もし一緒にいて君が幸せになれるような人だったら私は、」
「キミ、頭おかしいんじゃないの」

 御剣の言葉を途中で遮ったぼくの言葉に、御剣は一瞬ポカンとして、それから顔を思い切りしかめて、失礼だな、と言った。
 確かにあんまりな言葉だけど、これくらい言っても良いはずだろう。こいつは何もわかっちゃいない。
 そんなことを言われてぼくがいったいどんな気持ちになるか。

「言っとくけど、ぼくは相手が誰でも――たとえあやめさんだったとしても、御剣との関係を壊そうとするなら容赦しない。 だいたい、ぼくが誰と一緒にいたら幸せかなんて、キミに決められることじゃないだろ」
「……っ」

 御剣はぎゅっと眉間に皺をよせていて、けれどひどくほっとしているのがぼくには分かる。
 御剣の思考回路はすごく複雑で、何をきっかけにどんな結論に結び付くのか予想がつかないけど、少し話せば分かる。 御剣は、確かめずにはいられないのだ。
 ぼくと自分の歩く道がしっかり重なっているかどうか。どこかで離れたりしていないか。
 一人でずっとずっと先まで見に行って、ぼくがちゃんとその道を歩いてくるのを、祈りながら待っている。


 ――――めんどくさいやつ。

 でも、そんなところさえ大好きなんだ。
 どうしたら分かってもらえるだろう。先回りする必要なんてない。心配なら、手を繋いで歩けばいいのに。 そしたら違う道に行ってしまうことなんてないだろう?

 こんな時、人間って本当に不便だと思う。もし御剣に、ぼくの心を取り出して分解して見せる事が出来たら、 不安になることなんて絶対ないのに。
 実際にはそんなこと出来ないから、ぼくはこの気持ちが最大限伝わるように、できるだけ優しく御剣を抱きよせた。

「ねぇ御剣、そういう時はさ、『私のことが好きか?』って聞けばいいんだよ。そしたらぼくは、何回だって言ってあげる。 『世界で一番愛してるよ』ってさ」
「……」

 しばらく間が空いてから、腕の中で御剣がクスクス笑う気配がした。 決めゼリフを笑われたのは納得いかないけど、今日初めて御剣が笑ってくれただけで満足だ。

「そんなクサイ言葉を何回も言われたんじゃかなわないな。遠慮しておくとしよう」

 そう言って、御剣はぼくの首筋に顔を埋めた。 その声はさっきまでのように揺れてはいなくて、ぼくは拒否されたにもかかわらず嬉しくなった。

 首にかかる御剣の髪がくすぐったくて、けれど払うことなんてできるはずなくて、抱きしめる腕にぎゅっと力をこめた。


「……ねぇ、御剣」
「なんだ?」
「ぼくのこと、好き?」
「……知らん」
「ぼくにだけ言わせるのはずるいと思うんだよね」
「自分が勝手に言ったんだろう!」
「……へぇぇぇ。そんなこと言うんだ。……今日した話、みんなに喋っちゃおうかな」
「なっ! ずるいのはどっちだ!」
「知らないよ。いいから、言うの、言わないの」
「ムぅ……いたしかたあるまい。………………好きだぞ。その……世界で、いちばん……」
「…………」
「なんとか言え」
「……もう一回」
「死ね」
「死なないよ。キミを泣かせたくないからね」
「……っ!!!」


 やっぱり御剣は可愛い。いつもより二度は高くなっている頬の温度を楽しむように指を滑らせて、髪に唇をよせる。

 見えなくたってどんな顔をしてるかなんて手に取るようにわかる。
 きっと熟したイチゴみたいに真っ赤な顔で、なんとか反論しようと口をパクパクさせてるに違いない。



 御剣、キミに言っても信じないだろうから黙っておくけど、ぼくたちの小指はちゃんと赤い糸で結ばれているんだよ。
 ぼくには赤い糸が見えるんだ。

 ふたりの糸のちょうど真ん中にはぼくが力いっぱいかた結びした結び目があるけれど。
 それでもしっかり繋がっているよ。

 最初にこの糸が誰と繋がっていたかなんて、今じゃ覚えてもいない。
 大事なのはこの糸が解けないように見張っていることだけ。



 ――――もし解けたとしても、何度だって結び直すけどね。


end // reset
2008.5.28 up
赤い糸が見える成歩堂。
リアルに見えてても、妄想でも、どっちにしても怖い。