やさしいキスをして

「成歩堂、話があるのだ」
「……行くの?」

 間を置かず返された成歩堂の言葉に、御剣は目を瞠った。
 成歩堂はそんな御剣を眺めながら、困ったような笑みを浮かべている。

 仕事帰りに、成歩堂の部屋を訪ねて来て、上着を脱ぐよりも先に口を開いた御剣の表情は固い。
 リビングの入り口に立ったまま動けないでいる御剣に、一人ソファに座った成歩堂は重ねて問うた。

「今度はどこ?」
「……ドイツだ」

 そう、と返しながら成歩堂はリモコンで部屋の明かりを落とした。なんとなく、そうしたほうが良いような気がしたのだ。

 御剣は忙しい男だ。
 最近は海外研修という名目で、世界各地の法廷について学んでいるという。
 成歩堂だって、御剣を送り出すのはこれが初めてという訳ではないが、胸が痛むのは隠しようがなかった。
 今回の帰国は2ヶ月間とかなり長かったから、 もしかしたらこのままずっと日本にいるのではないかとどこかで期待していたのかもしれない。

 光源が月明かりだけになって、蛍光灯の明るさに慣れていた目を何回か瞬かせてから、成歩堂はもう一度御剣に視線を戻す。
 御剣は先程とまったく同じ場所で、けれど視線は窓の外へと向けられていた。

 月を、見ているのだろうか。

「御剣」

 まだ御剣はここにいるのに、すでに置いていかれたような気分になって、成歩堂は呼ばずにはいられない。
 名前を呼ばれて、視線を成歩堂へと戻した御剣に腕を伸ばす。
 自分から抱きしめに行くのが面倒な訳じゃない。
 御剣の意思で、ちゃんと、この腕の中に来て欲しいと思うのは決して我が侭ではないと、成歩堂は思うのだ。

 特にこんな夜にはなおさら。

 躊躇いがちに、それでもしっかり自分の足で、御剣が成歩堂の腕の中に収まる。
 成歩堂は宥めるようにその背をゆっくり撫ぜた。

 しばらく、ふたりの間に沈黙が落ちた。何故か心が穏やかになるような、不思議な沈黙だった。
 ふと、御剣の視線がまた窓の外に向いていることに気が付いて、成歩堂は御剣を離してその顔を覗き込む。
 問うような成歩堂の視線に気付いて、御剣の瞳が成歩堂を映し出した。

「あの満月が、あと三回、欠けて満ちて、また満月になる頃には戻ってくる」

 そう語る御剣の表情は、完全な無表情に近い。ただ、事実を淡々と述べているだけのように見える。

「……待っていてもらえるだろうか」

 その無表情が、寂しさを隠すためのものだと知っている。
 ただ一言、その言葉を口にするのに、どれほどの葛藤があったのかも。

 だから成歩堂は労わるように髪を梳いて、額にキスを落とした。

「誓いのキスだよ。ぼくは、いつまでだってキミを待ってる」

 そう告げた瞬間、安堵に揺れる瞳がたまらなく愛しいと思う。
 本当はどこにも行かないでと言ってしまいたい。
 たとえ一瞬だって、離れたりしないでと、そう思う気持ちも確かにあるのだけれど。

「……やっぱり、待っていられないかも」

 成歩堂がそう言うとひどく傷ついた顔を隠そうとするように御剣は俯いた。
 そうか、と呟く声は消え入りそうに小さい。

「待っていられなくて、会いに行っちゃうかも」

 弾かれたように顔を上げた御剣に成歩堂はにこりと微笑んでやる。

「会いたくなったら、電話して。仕事も何もかも、全部放り出してでも会いに行くよ」

 御剣は複雑な表情で黙り込んだ。
 本当は成歩堂が、抱えている事件を放り出すような人間ではないと御剣には分かっている。
 だからこれは、きっと嘘なのだろう。
 たとえ嘘でも嬉しいと、そう思ってしまう自分は馬鹿だろうか。

「だから御剣も約束して。必ず、ぼくのところに戻ってくるって」
「あぁ。必ず、ここに戻ってくる」

 その言葉に少しの迷いも無いことに、今度は成歩堂が安堵の笑顔を見せた。
 「じゃあ、ほら」と言って成歩堂は目を閉じる。
 その行動の意味をはかりかねてキョトンとしている御剣に、「誓いのキス」と先を強請る。

 御剣は唸りながらも、成歩堂がしたのと同じように、額にキスをくれた。

 一瞬だけ触れてすぐに離れてしまった唇が惜しくて、追いかけて今度は唇同士を触れ合わせる。
 すぐにでも熱くなりそうな身体に、けれど今夜ばかりはそれに流されるよりも。
 ただ髪を撫でて、肩を抱いて、やさしいキスをして。


 実は結構寂しがりなこの男に、ぬくもりを刻み込むように。

   
end // reset
2008.8.10 up
元ネタはドリカムのあの曲。
成歩堂ならドイツだろうがどこだろうが走って行きそうだなぁと。