まだ、知らない


その日は雨が降っていた。
正確には夕方から天気が崩れ、神乃木が裁判所を出る時に本格的に降り始めてきたところである。
幸いにも神乃木は車で来ていた為、傘は持っていなくともずぶ濡れになる心配はない。
裁判所のすぐ隣にある駐車場へと駆け足で向かう。
鍵を開け素早く車内に乗り込み、エンジンをかけた。
駐車場を出て、裁判所の前を通る時に、チラリと誰かが裁判所の玄関で立っているのが見えた。
暗くてもよく目立つ、紅いスーツ。
もしやと思い、他に車が走っていないのを幸いに車をバックさせ、そのまま裁判所の門を潜った。
車が徐々にその人物に近付くにつれ、ライトによって顔がハッキリと照らし出される。
――御剣怜侍、先日の尾並田の裁判を担当した新人検事だ。
玄関の前まで車を寄せて停車し、窓を開けて彼に声をかけた。


「天才検事さんじゃねぇか。乗りな。傘を持っていないんだろう?」


神乃木の突然の登場と掛けられた言葉に、御剣は目を丸くさせた。
眉間に皺を寄せ、怪訝な顔で神乃木を見た。
暫しの沈黙の後、御剣は口を開ける。


「ご好意は有り難いが、結構だ。タクシーを呼ぶので――」


そう言って神乃木を怪しむような視線を向けた。
お前は誰だ、と目が問い掛けている。
神乃木はそれに気付いていながらも、あえてそれには答えずに、口元に笑みを浮かべる。


「クッ…!タダで乗るか金を払って乗るかの違いじゃねぇか。今、目の前にタダで乗せてやろうという車が停まっているのに、どうしてわざわざタクシーを呼ぶ必要があるんだ?」


「いいから乗りな。心配しなくとも俺は誘拐犯じゃねぇ。れっきとした弁護士だ」と神乃木は言葉を続けた。
その言葉に御剣は少し躊躇した後、「すまない」と後部席のドアを開けた。
ドアが閉まった事を確認すると、神乃木は車を発進させた。


+++


フロントガラスを叩き付ける雨が激しさを増す。
気まずい沈黙を破ったのは、意外にも御剣の方だった。


「礼を云う。通り雨かと思っていたが、まさかこんな大雨になるとは」


チラリとミラー越しに御剣を見る。
まだ警戒はしているようだが、先程の刺々しさはない。


「なぁに、構いやしねぇさ。雨の中、途方に暮れた捨て猫は拾う。そいつが俺のルールだぜ」


そう云ってクッ…!と神乃木は笑ってみせると、御剣は又しても眉間に皺を寄せた。
あなたのルールなど知るか、とか、誰が捨て猫だ、とか御剣は心の中で悪態をつくも、本当に神乃木には感謝している。
それにしても変な男に拾われたものだと、後部席からハンドルを握る彼の後ろ姿を見ながら御剣は思った。
最初の信号に引っ掛かり、信号待ちをしている時に、神乃木が後ろを振り返った。


「家まで送る。場所を教えてほしいんだが」


街灯の微かな明かりに照らされた彼の顔を改めて見る。
先程は雨と暗さのせいで全く顔が分からなかったが為に、警戒心を剥き出しにしたが、今改めて見る彼の深い目の色に温かさを垣間見たような気がして、御剣は不思議と安らぎを得た。
しかしそうジッと彼の顔を見詰めている訳にもいかず、ハッと我に返り、慌てて神乃木の問いに答えた。


「すまないが、検事局で降ろしてほしい。まだ戻ってやるべきことがあるのだ」

「クッ…!天才検事は随分と頑張り屋さんだな」


そう茶化して、「分かったぜ、検事局だな?」と顔を正面へと戻す。
直後、タイミング良く信号が青に変わり、車はゆっくりと進み出した。


+++


検事局までの道のりは、この大雨とは裏腹に穏やかなものだった。
大雨だけあって、普段より交通量が少なく、その面でもスムーズであった。
あまりお喋りではない御剣に、神乃木は退屈させずに声をかける。
ほぼ初対面だというのに、気まずさなんてほんの最初のうちだけだった。
神乃木が問い掛ければ、言葉少ないながら御剣が答える。
時にはその問い掛けに、御剣が逆に神乃木へ問い掛ける。
そうしているうちに、検事局までもうすぐそことなっていた。
この時間が終わってしまうのが少し惜しいと、ボンヤリと御剣は思う。


(――らしく…ない)


居心地がいいと一瞬でも思ってしまった自分を認めたくなくて、御剣はそれを誤魔化すかのように窓の外に目をやった。
雨が窓ガラスに絶えず叩きつける中、ボンヤリと浮かぶ検事局の建物。
その門の前に停車し、「着いたぜ」と神乃木が後ろを振り返りつつ御剣に声を掛けた。


「確か後ろに傘が積んであるはずだから、持って行きな」

「ム、すまない」


そう云って、御剣は後ろのトランクからビニール傘を一本取り出した。


「本当に助かった。あなたには感謝している」

「クッ…!俺の方こそ楽しかったぜ」


それでは、とドアのハンドルに手を掛ける。
その時に、神乃木が「ちょっと待て」と制して、白く小さな紙を御剣に差し出した。


「俺は神乃木荘龍。名刺をくれてやるから、いつでも連絡してきな。美味い珈琲を馳走してやるぜ」


神乃木が差し出した名刺を戸惑いつつ受け取ると、ボソリと御剣が呟いた。


「珈琲はあまり好まない。美味しい紅茶ならご馳走になるが」

「クッ…!あんな甘い飲み物を好むようじゃ、まだまだお子様だな」


その言葉に、御剣はジロリと神乃木を睨みつけ、少し不満を云いたげな表情をする。
それをサラリと無視して、神乃木は言葉を続ける。


「ところでボウヤの名前、聞いてもいいかい?」

「なっ!?ボウヤと呼ぶな!」


照れからか怒りからか、御剣の顔が赤く染まった。
その様子が可笑しくて、神乃木はニヤリと笑って言葉を続ける。


「嫌なら名前、教えてくれよ」

「……御剣、怜侍」


ボソリと名を告げると、御剣も渋々といった様子で名刺を神乃木に差し出す。
それを受け取り、「ふーん、いい名前じゃねぇか」と、神乃木は満足そうに笑みを浮かべた。


「じゃぁな、ボウヤ。今度は一緒に飯でも食おう」

「だからっ、ボウヤではないと云っているのだ!」

「俺との珈琲デートに付き合ってくれたら呼ばねぇさ」

「嘘をつけ!顔が笑っているではないか!」


これがあの法廷で見た御剣検事なのだろうか。
そう思ってしまうほど、意外にも彼はすぐにムキになる傾向があることを知り、神乃木は楽しくて仕方がなかった。
御剣は怒ったように車から出て、荒々しくドアを閉めた。
それがますます神乃木を楽しませているとは知らずに。


「じゃぁな、ボウヤ。あんまり無理して体を壊さないようにな」

「〜〜大きなお世話だ!」


御冠な御剣に手をヒラヒラさせて、神乃木はアクセルを踏んで車を発進させた。
雨のせいで、あの紅いスーツはすぐに見えなくなった。


+++


先程までいた話し相手がいなくなると、途端に静かになってしまった車内。
そこまでお喋りではなかったあの青年でも、いなければいないで寂しいものだと神乃木は思う。
道路は相変わらず交通量が少なく、ポツンと自分の車だけ広い道路を走っているということが、また一段と寂しさを増した。
暫く走らせると、前方の信号が黄から赤に変わったのを確認した。
赤信号で停車している間に、さっき御剣から貰った名刺を眺める。


「御剣怜侍、か」


新しいおもちゃを、どうやって手に入れようか考えている子供のような気分だった。
あの法廷でのクールな態度とは違い、からかうとすぐムキになる少し子供っぽい姿を思い出し、思わず笑みが零れた。
さて、珈琲デートはいつにしようか。
冗談で云ったつもりだった言葉なのに、それを実現させようとする自分がひたすら可笑しい。
ますます深くなる笑み。


(ああ、本当に子供みてぇな気分だ)


そう考えているうちに、いつの間にか信号が青に変わっていた。
彼の名刺をサンバイザーに挟み、アクセルを踏む。
雨の中、ゆっくりと車は発進する。
雨は相変わらず降り続けているが、先程より大分弱まってきていた。


いつもならうるさいだけの雨音が、今、優しいメロディを奏で出した――…。




まだ、知らない
(それが恋の旋律だなんて)



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鳶山寺さまのサイト『Super Hero』で7777番を踏みまして獲得した戦利品でございます!
神乃木さんと若ミツの馴れ初め的なものを……というアバウトなリクエストにも関わらず、しっかりバッチリ応えてくれた鳶山寺さまに感謝です〜。
御剣はもちろんですが、恋の予感にウキウキする神乃木もちょっと可愛いと思ったのは私だけではないはず(笑)
続編……心待ちにしております!
鳶山寺さま、素敵な作品をどうもありがとうございました!