だからその手を伸ばして 3

 やっと見つけた愛しい人に、成歩堂は躊躇うことなく両手を伸ばした。
 扉の開く音に振り返った御剣は、そこに成歩堂を見つけると驚きに目を見開いた。
 その表情がその後どんなふうに変わったのか、 御剣を引き寄せて腕の中に抱き込んでしまった成歩堂には見ることは出来なかったけれど、 この腕を振り払われないということだけで、十分だと思った。
「御剣、ごめん……ごめんね」
「…………」
「御剣は、ぼくを信じてくれてたのに、それを裏切るようなこと言って……でも、」
 抱きしめていた腕をほどいて、御剣の瞳を見つめる。
 いつでも真実を追求するまっすぐな瞳。今は逸らされることなく成歩堂を強く見据えているそれに、 ほんのわずか縋るような色を見つけて、どうしようもない罪悪感と、そして紛れもない喜びが湧き上がる。
 どうしてこんな簡単なことを、今まで見落としていたのだろう。
 自分はいつだって言葉ばかりを求めて、だから気付けなかった。素直になれない御剣の、精一杯のサインを。
「でも、貰ってないから」
「なに……?」
「チョコレート貰ったって言ったの、嘘なんだ」
 大きく目を見開いた御剣の頬に、ゆっくりと手を伸ばす。
 包み込むように頬を撫でた成歩堂の手は、けれどすぐに御剣に払い落とされた。
「嘘は、嫌いだ」
「だから、謝ってる」
「違うッ!」
 声を荒げた御剣は、成歩堂を強く睨みつけた。そこには先程までの縋るような色はなく、ただただ強く、 鋭い光をたたえるいつもの御剣の瞳だった。
「調子の良いことを言うな。キサマがチョコを貰っているところを、糸鋸刑事が見ているのだぞ」
「……あぁ」
 それでか、と成歩堂は先程執務室で感じた違和感の理由を理解した。
 御剣は、成歩堂に会う前から知っていたのだ。成歩堂が誰かにチョコレートを渡されたことを。
 きっと御剣は、成歩堂にそれを否定されるのを待っていたのだ。そして逆に否定されないことを何よりも恐れて。
 だからこそ、張り詰めていた空気。
 そんな御剣に、自分は何を言ったのか。
 御剣が頑なになるのは当然で、自業自得だった。

「聞いて、御剣。確かに告白はされたよ。チョコも渡された。でも、受取れなかったんだ」
 御剣はじっと黙って成歩堂を見つめていた。
 そこに偽りがないか見極めるように。また傷つけられないか訝るように。
「最初は、受取るつもりだった。これで賭けはぼくの勝ちだって喜んだよ。 でも……その子、本当に一生懸命で。チョコを持ってる手が少し震えてるのが見えてさ。 そんな真剣な気持ちを利用しようとした自分が恥ずかしくなって、その場ですぐに返したよ。 それから御剣の顔が頭に浮かんで、気付いたんだ。あんな賭けをしたのが、そもそも間違いだったって」

 もう一度、御剣の頬に手を伸ばす。
 御剣は僅かに身を竦めただけで、その手が払われることはなかった。
 それでもまだ完全には信じられないのか、瞳だけは頑なに成歩堂を射抜いていた。
「信じて、御剣。……このチョコレート、ぼくに用意してくれたものだって、そう思っていいんだろ?」
 御剣に投げつけられた箱をポケットから取り出すと、御剣は苦い表情になった。
「中を、見たのか?」
「うん」
 御剣は嘆息すると、諦めたようにその小さな箱に目を落とした。
「ならば、私は敗者の義務を果たさねばなるまいな」
 そう言った御剣は成歩堂を正面からまっすぐ見据えて、口を開こうとした、が、成歩堂はその唇をそっとキスで塞いだ。
 唇が触れ合うだけのキスは、御剣の唇の柔らかさと、緊張による強張りを同時に伝えてきた。
 今では、こんな少しの触れ合いだけでも、御剣の気持ちが痛いほど伝わってくるのに、 自分は今まで一体何を見てきたのだろうかと思う。
 御剣を抱きしめたとき、髪を撫でたとき、頬にキスを落としたとき。
 いつも御剣は少しくすぐったそうに身をすくめて。
 少しだけ戸惑ったような笑顔はいつだって、幸せなのだとそう言っていたのに。
「もういいんだ。あんな賭け、意味なんてないんだから」
 ゆっくりと唇を離せば、御剣の不安げに揺れる瞳が成歩堂を映していた。
 成歩堂は御剣の不安をはねのけるように、優しく微笑んで見せた。 
「いや、私は……」
「いいんだよ。いつか、御剣が自然に言いたくなったら言ってくれれば。ぼくはいつまでだって待ってるから」
 そう言って、御剣を抱き寄せる。
 今はこのぬくもりが腕の中にあるだけで、成歩堂は満足だった。
 愛しくて愛しくてたまらない、大切な人。

「御剣……大好きだよ」
「……っ!」
 腕の中で、御剣の身体が強張るのが分かった。それから、小刻みに震えだす。
 一体どうしたのかと、恐る恐る御剣の顔を覗き見れば、その人は堪え切れないと言うように声を殺して笑っていた。
「み、御剣……?」
「ふ、はは……なんというタイミングだ。キサマ、まさか狙っていたのか?」
 御剣が何を言っているのか、成歩堂には全く分からなかった。
 不可思議な御剣の言動に戸惑っていた成歩堂の唇に、一瞬だけ、柔らかな感触。
 キスをされたのだと理解する頃にはそれはもう既に離れていて、同じものが今度は耳に触れそうなくらい近づいていた。
「私も、キミが好きだ……成歩堂」
 最後に呼ばれた名前が耳に残した感触を、自分は一生忘れないだろうと思った。
 思いもよらない出来事に、しばし呆然としていた成歩堂だったが、すぐに我に返ると御剣の肩を鷲掴みにした。
「みっ……御剣、今の、良く聞こえなかった! もう一回、」
「二度は言わん」
「そ、そんな! お願い御剣、もう一回だけ!!」
「フン……キサマだって、一度しか言ってないではないか」
 取り縋る成歩堂からプイと顔を逸らして、御剣がまるで拗ねたような声を出した。
 成歩堂はそれを見てキョトンと口をあける。
「一度しかって……」
「自分の言動も覚えていないのか? キサマが私を好きだと口にしたのは、ついさっきのあの一回きりだ」
「え……そんなことは……」
「あるのだ!」
 成歩堂は呆然と御剣を見つめた。御剣は唇をへの字に結んで、きまり悪そうにそっぽを向いている。
 成歩堂はその様子にある種の感動を覚えた。
 だってそれはつまり……
「もしかして御剣、ぼくが好きだって言わないから拗ねてたの?」
「べっ……別に拗ねていたわけでは!」
「でも、ぼくが言わないから、御剣も言いたくなかったんだろ?」
「ム……無礼だろうが。自分の気持ちは晒さずに相手だけに言わせようなど」
 御剣の顔が苦いものになればなるほど、成歩堂の胸の内には抑えられない衝動が湧き上がる。
 気付けば成歩堂は、無言のまま御剣の手を引いて非常階段から連れ出していた。

(どうしようどうしようなんだってこんな顔するんだダメだダメだもう本当にダメだこいつ可愛すぎるっ)

 家までなんて到底我慢できそうになくて、成歩堂は後で殴られるのを覚悟しながらも御剣の執務室へ向かった。
 無言のまま御剣を引き摺るように進んでいく成歩堂に、御剣は困惑の声をあげるけれど、 成歩堂はそれさえ耳に入らないかのようにただただ歩を進め、執務室に入る頃には駆け足になっていた。

 執務室でコトに及ぼうとした成歩堂は、目的を達成する前に御剣に腹を思いきり蹴られて蹲るハメになった。
 御剣は怒り狂って成歩堂にありとあらゆる罵詈雑言を浴びせかけたけれど、 成歩堂がそれに本気でいじけた素振りを見せると、少し困ったような表情で、蹲る成歩堂に手を差し出した。
「家まで我慢するのが辛いのは、私だって同じなのだぞ」

(……だから、そういう顔でそういう事を言うから我慢が効かなくなるんだってば……)

 男のくせに男心をまったく解さない御剣に成歩堂は嘆息しながらも、伸ばされた手を握り返す。

   惚れた方が負けなんて、悔しいけれどその通りなのだ。



end
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2009.2.23 up