オマケのふたつめ

 目の前で不満気なオーラを大放出している愛犬、もとい、可愛い弟に向かって、神乃木は口許に人差し指を立ててまるで子供相手にするように、しぃ、 とジェスチャーしてみせた。それでも納得のいっていない様子で、狼は床に胡坐をかいて腕を組むと恨めしげな視線を神乃木にぶつけてくる。 その視線を少し面倒に感じながらも、神乃木は動くことができない。
「なんでだよッ」
「吠えるなよ。コネコが起きちゃうぜ?」
 新しい部屋に来る時に新調した大きなソファ。三人ゆうに座れるそれに、今は狼のための場所がない。 珍しく足を組まずに座っている神乃木の膝の上に頭を乗せて、御剣がソファに寝そべっているからだ。 ただ、狼が不満に思っているのは決してソファに居場所がないからではなく。
「……ずりぃ。なんで兄貴にばっかり」
 コイツは甘えるんだよ、と漏れた声は心底悔しげで、そんな狼を可哀想に思うのも、弟を愛している神乃木の本当の気持ちだ。
 普段御剣は狼を誘うように挑発することはしても、神乃木にするように甘えることはしない。それは共に過ごした時間の差か、 ただ単に年上と同い年の包容力の違いなのかは分からないが、少なからず生まれる優越感はもうどうしようもない。 神乃木だって、御剣を愛しているのだ。その御剣への想いの強さが、弟に負けているとは思わないし。
「ずるいったって、仕方ねぇだろうが。怜侍の中での役割が違うんだろうさ」
「……オレはいったいどんな役回りなんだよ」
「そりゃぁ……そのまま、遊び相手のコイヌちゃん、だろうな」
 にやにやと笑いながら言ってやれば、当然のごとく狼は眉を寄せて威嚇するように睨んできた。ほんの少し瞳が潤んでいるように思うのは気のせいだろうか。 まさか泣き出したりはしないだろうが、いきなり駄々をこねられても困るなと、神乃木は泣き虫だった幼少の弟を思い出して知らず柔らかな笑みを浮かべた。 そんな微笑ましい理由の微笑も狼には自分を馬鹿にしているとしか思えないのだろう、神乃木を睨んだまま何か言おうと口を開こうとしたとき。
「ん……」
 まるで不穏な空気を感じ取ったかのように御剣が小さく呻いた。起こしてしまったかと思いふたりして顔を覗き込むが、その目は閉じられたまま、寝息も健やかだ。 ただ、もぞもぞと身じろいで猫のように身体を丸めた。
 寒いのか、と呟いて神乃木が空調のリモコンに手を伸ばすのと同時に、立ち上がった狼が自室へと消える。 本気で拗ねちまったかな、と神乃木が心配するでもなく思っていると、予想に反してすぐにまた部屋から出てきた狼の手には毛布があった。
あんなに気に入らないと言っていたのに、最終的には御剣の眠りを優先させる弟に、神乃木は少し嬉しいような、くすぐったいような複雑な心境だ。 御剣に毛布をかける手つきは優しさに満ちている。こんなふうに人を大切にできる弟だからこそ、自分が大切にしている御剣を共有してもいいと思えたのだ。
 狼の毛布に鼻をうずめるようにして眠っている御剣が、さっきまで以上に幸せそうな顔をしていることに、きっと弟は気付いていないだろう。 狼の匂いは落ち着くのだと、あんなにはっきり言われておきながら気付かないのだから、やはりまだまだコイヌちゃんだな、と神乃木は心のうちだけで思う。 わざわざ教えてやるほど弟を甘やかしたりはしない。そのかわりに。
「イイコだな、士龍」
 立っている狼の手を引いて屈ませて、頭を撫でる。おまけに額にキスを落としてやったら、こっちが驚くような勢いで後ずさりしたあげく、 テーブルに足をぶつけて呻いている。おもしろい。
「テメ、いきなり何すんだ!」
 言ってしまった後に気付いて口を押さえるが、もう遅い。毛布にくるまった御剣の眉が寄って薄く目が開いた。
「わりぃ、起こしちまったな」
「ん……どうしたのだ……?」
 もぞもぞとソファの上に身を起こしながら、御剣は目をこすっている。まるきり寝起きの無防備な表情に、狼と神乃木はそろってうずうずした。
「愛する弟にキスしてやったら、拒絶されちまった」
「ムぅ。……そうりゅう、私には……?」
 拗ねたような顔で言う。まだ寝惚けているのか口調が少し怪しいのがまた可愛いと、狼に睨みつけられながらも神乃木は思った。 こんなに可愛く強請られて、してやらないわけにはいかない。という弟に対する言い訳を胸の中だけで呟いて、神乃木は御剣にくちづける。 先程狼にしたものとは違い今度は唇にしっかりと重ねられたそれは、ちゅ、と僅かな音をたてながらゆっくりと離れた。
 横目でちらりとだけ見遣った狼は、やっぱり神乃木を睨んでいた。そんな必死な弟の姿も、神乃木には可愛くて仕方ないのだ。 わざと見せつけるようなキスをしたのも、だから決して嫌がらせではなくて、可愛い子は苛めたい、全人類共通の心理だ。 少し可哀想な気もするのだが……いや、こんなに優しい兄と美人の御剣に想われているのだから、弟は間違いなく幸せものだ。そうに違いない。
 勝手に納得した神乃木の傍らでは、キスの余韻でふわりと微笑んでいた御剣の視線が狼に移動して、キッと険を帯びる。
「私が寝ているスキに荘龍を独り占めしようとしても無駄だ!」
「なっ……!」
 ばしんと人差し指を突き付けながら言われて、狼は衝撃に言葉が出ないようで立ち尽くしている。そんな狼を置き去りにして、 御剣はソファの上でごそごそと動いて先程と同じ体勢を確保すると、またすうすうと穏やかな寝息をたてはじめたのだった。
「お、オレ……オレは……」
 ショックから立ち直れないでいる弟に向かって両手を広げて、慰めてやろうか、 と声を掛けたのは純粋に弟を思う気持ちからであって決して嫌がらせではない……多分……きっと。
「……兄貴なんて、大っ嫌いだあああ!」
 うおおおおおんッ! と少々獣じみた叫びを残して狼はリビングから去って行った。
 御剣は相変わらず、神乃木の膝で眠っている。狼の匂いのする毛布に包まれて、幸せそうに笑いながら。


 
end
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2010.09.13 up